日本歴史地名大系 「梶野新田」の解説 梶野新田かじのしんでん 東京都:小金井市梶野新田[現在地名]小金井市梶野町一―四丁目・東町(ひがしちよう)一丁目・同五丁目現市域の東端部に位置。大きく二ヵ所に分れ、開発当初は北割(北梶野)、南割(南梶野)とよばれた。北割は玉川上水の南から現JR中央線の南まで、北は関野(せきの)新田、境(さかい)新田(現武蔵野市)、東は境村(現同上)、南は南関野、西は下染屋(しもそめや)新田・下小金井新田。南割は現連雀(れんじやく)通の南から国分寺崖線の上までで、四ヵ所に分れる。享保九年(一七二四)上小金井村の名主梶藤右衛門が開発(「武蔵野開発反別割渡状」梶家文書)。宝暦一一年(一七六一)の武蔵野新田出百姓生国在所訳書上帳(武蔵野市立図書館蔵)によれば、最初の出百姓は享保一三年に二人であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報