小金井市(読み)コガネイシ

デジタル大辞泉 「小金井市」の意味・読み・例文・類語

こがねい‐し〔こがねゐ‐〕【小金井市】

小金井

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「小金井市」の解説

小金井市
こがねいし

面積:一一・三三平方キロ

都のほぼ中央に位置し、東は武蔵野市・三鷹市、南は府中市、西は府中市・国分寺市・小平市、北は小平市。市域の中央を東西に古多摩川の浸食によってつくられた国分寺崖線が比高約一二―一四メートルで横断し、武蔵野段丘面と立川段丘面に二分している。南部を崖下の湧水を集めた川が西の国分寺市境から府中市に東流する。北部にはせん川が蛇行して東流し、さらにその北を玉川上水が東流する。中央をJR中央本線が通り、武蔵小金井駅と東小金井駅がある。南東部には西武多摩川線が通り新小金井駅がある。南北に小金井街道(主要地方道府中―清瀬線)・新小金井街道(都道府中―小平線)、東西には北部を玉川上水と並行して五日市街道(主要地方道杉並―あきる野線)、中央部を連雀れんじやく(都道恋ヶ窪―新田―三鷹線)、南部を東八とうはち道路(主要地方道新宿―国立線)が通る。玉川上水の北には都立小金井公園があり、野川南岸には府中市にまたがって都立武蔵野公園・都立野川公園と警視庁府中運転免許試験場、さらにその南に都立多磨霊園がある。当地域は国分寺崖線から湧き出る湧水が豊富で、市名も湧水に由来するとされる。

〔原始〕

遺跡は武蔵野段丘面の崖端(国分寺崖線・ハケ)や立川段丘面を流れる野川の周辺に分布する。旧石器時代の遺跡は、立川ローム層最下部の第X層から最上部の第III層中に含まれ、複数の生活面が重なって発見されることが多い。武蔵野段丘面には、はけうえ・平代坂へいだいざか西之台にしのだい中山谷なかざんや・ICU・LOC15の各遺跡、立川段丘面には荒牧あらまき前原まえはら新橋しんばし野川中洲北のがわなかすきたの各遺跡などがあり、一九七〇年代から大規模な発掘調査が実施されている。野川中洲北遺跡からは、トウヒ、カラマツなど更新世の寒冷気候を示す植物化石層が発見された。縄文時代の遺跡の多くは旧石器時代の遺跡と重なり、草創期から後期前半までの遺跡がみられる。おもな集落遺跡には早期前半のはけうえ遺跡、中期の貫井・中山谷・貫井南の各遺跡などがある。後期前半では新橋遺跡や漆塗櫛などが発見された武蔵野公園低湿地遺跡が知られる。縄文後期後半から弥生時代・古墳時代を通じて集落遺跡はみられないが、武蔵野公園低湿地遺跡から古墳時代前期の水利遺構が発見されている。

〔中世〕

古代律令制下では武蔵国多摩郡に属した。市域に鎌倉期の資料は皆無に近いが、徳治三年(一三〇八)銘の板碑が中丸なかまる(現前原町三丁目)の梶家に所蔵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小金井市」の意味・わかりやすい解説

小金井〔市〕
こがねい

東京都中央部,武蔵野台地上にある市。 1958年市制。 JR中央線が東西に貫き,その南寄りの段丘崖の下は古くから湧水地帯で,旧貫井本村,旧小金井本村などの古い集落が立地した。地名の由来には諸説があるが,湧水を尊称した黄金の井の意によるなどといわれる。上位段丘面は玉川上水が引かれてから発達した新田村。東京近郊の純農村地帯であったが,1926年,武蔵小金井駅が開設されてから都内通勤者の住宅が増加。第2次世界大戦前後から各種の学校や施設がふえ,戦後は住宅地として発展,住宅都市の1つとなった。東京農工大学工学部,法政大学工学部,東京学芸大学などがある学園都市でもある。都立小金井公園 (武蔵野郷土館が所在) ,都立多磨霊園の一部が含まれる。桜町,小金井堤のサクラは名勝。 JR中央線のほか,西武鉄道多摩川線が通る。面積 11.30km2。人口 12万6074(2020)。

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