日本歴史地名大系 「棚下村」の解説 棚下村たなしたむら 群馬県:勢多郡赤城村棚下村[現在地名]赤城村棚下沼田盆地を貫流した利根川が赤城・子持(こもち)両山によって押し狭められた部分の東岸に位置し、東は長井小川田(ながいおがわだ)村。集落は高さ一〇〇メートルにも及ぶ赤城山麓崖の絶壁の下、河床上を南北に走る旧清水(しみず)峠越往還の両側に家屋の並ぶ街村。この絶壁のため近代初頭まで交通不便の地であった。永禄一〇年(一五六七)と推定される三月二五日および二六日の北条景広宛上杉輝虎書状(奈良原文書)に地名がみえ、当時棚下は長尾氏が支配していたことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by