日本歴史地名大系 「赤城村」の解説 赤城村あかぎむら 群馬県:勢多郡赤城村面積:七八・一八平方キロ赤城山の西麓、勢多郡の北西端に位置し、北は沼田市、利根郡昭和(しようわ)村・利根村、東は富士見(ふじみ)村、南は天竜(てんりゆう)川を隔てて北橘(きたたちばな)村、西は利根川を隔てて北群馬郡子持(こもち)村。赤城外輪山鈴(すず)ヶ岳(一五六四・七メートル)を最高点として西へ森林の多い山腹部、耕地の広がる山麓部、水田地帯の利根川段丘部の三地域に分けられ、山麓部の西縁には関越自動車道が、段丘部には国鉄上越線、県道前橋―下久屋(しもくや)線が南北に通る。 赤城村あかぎむら 埼玉県:北埼玉郡川里村赤城村[現在地名]川里村赤城・赤城台(あかぎだい)北根(きたね)村の西にあり、北は旧忍(おし)川を隔てて小針(こばり)村(現行田市)。集落は見沼代用水(星川)右岸の埋没台地上に立地し、南方の広田(ひろだ)村南東の屈巣(くす)沼跡に飛地がある。赤木とも書いた。地名の由来は、上野国赤城山の赤城神社を分祀した赤城社の鎮座によるという(埼玉県地名誌)。寛永一二年(一六三五)の忍領御普請役高辻帳(中村家文書)に赤木村とみえ、旗本領の役高一四二石余。田園簿によると高一四四石余、反別は田方二一町六反余・畑方四二町二反余、幕府領。国立史料館本元禄郷帳では旗本林領、化政期にも同領(風土記稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by