森山孝盛(読み)もりやま・たかもり

朝日日本歴史人物事典 「森山孝盛」の解説

森山孝盛

没年:文化12.5.14(1815.6.21)
生年:元文3(1738)
江戸中期の幕臣文人。熊五郎,源五郎。父盛芳,母は諏訪頼安の娘。兄盛明の養子。大番士から小普請組頭となったが,中年まで役職に所を得なかった。松平定信政権になるとその信任を得て,御徒頭となり布衣を許された。寛政3(1791)年目付に進み,さらに先手鉄炮頭となり,火付盗賊改加役を命ぜられ,さらに西丸持頭を経て文化6(1809)年鎗奉行に進み,9年辞した。学識の高い文人としても知られ,文筆を得意とし,また和歌にも励んだ。『自家年譜(森山孝盛日記)』(内閣文庫蔵)が現存し,他に随筆『蜑の焼藻』や『賤のをだ巻』などの著作がある。

(山田忠雄)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森山孝盛」の解説

森山孝盛 もりやま-たかもり

1738-1815 江戸時代中期-後期武士
元文3年生まれ。幕臣。松平定信に重用されて先手鉄砲組頭,火付盗賊改(あらため)などをつとめ,文化6年鑓(やり)奉行となった。国学,和歌にくわしく,随筆に「賤(しず)のをだ巻」「蜑(あま)の焼藻(たくも)」などがある。文化12年5月14日死去。78歳。通称は源五郎。号は闇窓。

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世界大百科事典(旧版)内の森山孝盛の言及

【賤のをだ巻】より

…随筆。森山孝盛著。1802年(享和2)の自序がある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」