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森川重俊 もりかわ しげとし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

森川重俊 もりかわ-しげとし

1584-1632 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)12年生まれ。徳川家康につかえた森川氏俊の3男。徳川秀忠に近侍したが,大久保忠隣(ただちか)の改易事件に連座。のちゆるされ,寛永4年下総(しもうさ)生実(おゆみ)藩(千葉県)藩主森川家初代(1万石)となり,8年老中にのぼった。寛永9年1月24日,秀忠に殉死。49歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

森川重俊

没年:寛永9.1.24(1632.3.14)
生年:天正12(1584)
江戸初期の老中。金右衛門氏俊と大村越前守某の娘の子。出羽守。幼少から徳川秀忠に小姓として仕え,慶長14(1609)年下野国(栃木県)で3000石を領したが,19年大久保忠隣の改易に連座して酒井家次に預けられた。しかし寛永4(1627)年許され,再び秀忠に近侍し下総国生実(千葉県)で1万石を賜った。翌年には老中となったが,9年1月24日秀忠が没するとその晩一族を集め,暇乞いをしたのち殉死した。当時重俊のような主人の権威を背景に一代で立身した者を出頭人といい,その殉死は珍しいことではないが,重俊は秀忠の世嗣決定以前に,竹千代(徳川家光)を疎み出仕を怠っていたことから後難を恐れ殉死したとする説もある。<参考文献>『藩翰譜』

(小池進)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の森川重俊の言及

【森川氏】より

…近世大名。尾張国の出身。重俊は徳川秀忠に仕え,1609年(慶長14)3000石を知行。大久保忠隣の改易に連座して一時除封されるが,27年(寛永4),許されて下総生実(おゆみ)1万石の大名となる。32年重俊は秀忠に殉死。その後,幕末に至るまで森川氏の生実領有が続いた。当主は従五位下出羽守,内膳正などに叙任。しばしば奏者番,若年寄などの要職就任者を出す。維新後は子爵。【大森 映子】…

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