朝日日本歴史人物事典 「森川重俊」の解説
森川重俊
生年:天正12(1584)
江戸初期の老中。金右衛門氏俊と大村越前守某の娘の子。出羽守。幼少から徳川秀忠に小姓として仕え,慶長14(1609)年下野国(栃木県)で3000石を領したが,19年大久保忠隣の改易に連座して酒井家次に預けられた。しかし寛永4(1627)年許され,再び秀忠に近侍し下総国生実(千葉県)で1万石を賜った。翌年には老中となったが,9年1月24日秀忠が没するとその晩一族を集め,暇乞いをしたのち殉死した。当時重俊のような主人の権威を背景に一代で立身した者を出頭人といい,その殉死は珍しいことではないが,重俊は秀忠の世嗣決定以前に,竹千代(徳川家光)を疎み出仕を怠っていたことから後難を恐れ殉死したとする説もある。<参考文献>『藩翰譜』
(小池進)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報