植柳村(読み)うやなぎむら

日本歴史地名大系 「植柳村」の解説

植柳村
うやなぎむら

[現在地名]八代植柳上うやなぎかみ町・植柳下うやなぎしも町・植柳元うやなぎもと町・植柳新うやなぎしん町一―二丁目

麦島むぎしま村の南対岸、球磨川がみなみ川と分流する地点の左岸一帯にある。古来八代海の船着場であったという。「八代日記」天文八年(一五三九)六月一五日条に「大水ニテ植柳妙見の宮前河ニ成候」とみえる。弘治二年(一五五六)八月九日条には相良頼興が植柳妙見宮に参詣した記事がみえ、永禄四年(一五六一)五月条に「今月植柳妙見ニテいかなる物にて候哉、おとりあそひ候様ニテ候、土ニテ宮なとヲぬり候、御きねんにて候、其年無何事候」とある。

慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳に田方五九四石一斗余・畠方三四六石三斗余と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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