椎堂村(読み)しどうむら

日本歴史地名大系 「椎堂村」の解説

椎堂村
しどうむら

[現在地名]尼崎市椎堂一―二丁目・東園田町ひがしそのだちよう三丁目

富田とうだ村の北に位置し、東は猪名いな川を境として豊島てしま利倉とくら(現大阪府豊中市)、北は同郡原田はらだ(現同上)。地元ではシドとも発音され、古代氏族椎田氏の居住地であったかと推定されている(尼崎市史)つぼ大半田おおはんだ八反田はつたんだなどの小字名とともに近年まで条里遺構が残っていた。文禄三年(一五九四)一〇月吉日の椎堂村検地(門田家文書)によると舟越五郎右衛門尉の奉行で検地を実施、名請人一〇八名、うち椎堂村人は三四名、ほかは近隣村からの入作人(食満一〇・富田四・穴太六・田能一六・利倉三〇・原田七・勝部一)。反別は田方二一町余・畠屋敷四町七反余の計二五町三反余。分米三五九石余、うち二五石余荒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む