椎持村(読み)しいもちむら

日本歴史地名大系 「椎持村」の解説

椎持村
しいもちむら

[現在地名]鹿北町椎持

星原ほしわら山西裾を源にする岩野いわの川支流が君の平きみのひらで同川に合流し、北流する流路沿いに立地する。東は星原村多久たく村、南は多久村、西は岩野村に接する。元禄国絵図に「多久村之内椎持村」とあり、もとは多久村の枝村であった。近世山鹿やまが郡中村手永に属した。「国誌」には「高二百八十二石余、梶屋村市木村小河内村須屋村柳瀬村本村桑原村麻生村等ノ小村アリ」とある。宝暦二年(一七五二)の中村手永御蔵納手鑑によると田畝数一一町九反六畝・畑畝数二〇町三反三畝余、御郡方などの新地は田一反六畝余・畑八反七畝余、家数一五〇・人数九〇九、牛馬五三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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