椿井郷
つばいごう
多芸庄内の一郷村で、近世の石畑村あたり、一説には清子村(勢至村)に比定される。「蔭涼軒日録」寛正六年(一四六五)五月七日条に濃州椿井郷とみえ、京都相国寺子院の常徳院領で、当郷付近の街道(伊勢街道か)に違乱があったのでその停止を勢至寺が幕府に求めている。下って天文一三年(一五四四)九月一六日の斎藤利政寄進状写(神宮文庫蔵)によれば、当郷は「当城」(稲葉山城か)の祈祷のため伊勢神宮に寄進され、永禄年間(一五五八―七〇)一一月には同神宮供米一〇〇石分が煩いなく勘過されることが斎藤義龍によって認められている(同月一〇日「斎藤義龍朱印状写」同文庫蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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