日本大百科全書(ニッポニカ) 「椿葉記」の意味・わかりやすい解説
椿葉記
ちんようき
持明院(じみょういん)統、崇光(すこう)天皇一流の盛衰を記した書。崇光天皇の孫で『看聞御記(かんもんぎょき)』を著した伏見(ふしみ)宮貞成(さだふさ)親王(のち後崇光(ごすこう)院)の著。1434年(永享6)皇子後花園(ごはなぞの)天皇に奏進した。内容は、崇光天皇が1351年(正平6・観応2)廃位され、皇位がその弟後光厳(ごこうごん)天皇とその子孫に移った事情から、ふたたび崇光天皇の曽孫(そうそん)後花園天皇に戻るまでの間の伏見宮家の消長を書き、ついで琵琶(びわ)、学問、和歌に努め、血縁親和し、譜代(ふだい)の臣を愛すべきことなど、訓戒を記している。
[百瀬今朝雄]
『村田正志著『證註椿葉記』(1954・宝文館)』