日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊仁山」の意味・わかりやすい解説 楊仁山ようにんざん(1837―1911) 中国の僧。楊文会(ようぶんかい)ともいう。安徽(あんき)省石埭(せきたい)県の人。清(しん)末の居士(こじ)仏教を代表する人物であり、太平天国の乱(1833~1864)のあと、仏教の復興運動に力を入れ、仏教研究、弘通(ぐずう)、出版の面で活躍した。1897年(光緒23)に南京(ナンキン)に金陵刻経処を設け、底本を日本から輸入するなどして、戦乱によって失われた仏教書の刊行に努めた。この事業は次の民国時代にも、彼の弟子たちに受け継がれて、仏教の復興に大きな役割を果たした。[柏木弘雄 2017年4月18日] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊仁山」の意味・わかりやすい解説 楊仁山ようにんざんYang Ren-shan [生]道光17(1837)[没]宣統3(1911)中国,清末の在家仏教者。名は文会。中年にして『大乗起信論』を読んで仏道に帰依し,居士として王梅叔,魏剛己らと交わった。同治5 (1866) 年鄭学川の刻経事業に参加。また T.リチャードに協力し『大乗起信論』の英訳を助けたり,のちには金陵刻経処を創設し仏典の出版に生涯を捧げた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by