20世紀日本人名事典 「楠本武俊」の解説 楠本 武俊クスモト タケトシ 明治〜昭和期の実業家 大分セメント社長。 生年文久1年10月27日(1861年) 没年昭和3(1928)年11月27日 出生地紀伊国日高郡東内原村(和歌山県) 学歴〔年〕慶応義塾〔明治17年〕卒 経歴楠本権吉の二男に生まれ、のち楠本恒助の養子となる。明治17年大蔵省に入り、ついで一時、塩原の英語学校校長となるが、27年日本郵船に転じ、日清戦争当時は仁川支店長を務める。のち香港支店長などを経て、大正5年旭セメントが設立されると社長に就任。11年同社が大分セメントに合併されると副社長となり、のち社長を務める。他に大船渡セメント、秩父セメントの各重役も務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楠本武俊」の解説 楠本武俊 くすもと-たけとし 1861-1928 明治-昭和時代前期の実業家。文久元年10月27日生まれ。明治27年日本郵船にはいる。大正5年旭セメントが設立され,社長となる。11年同社が大分セメントに合併され副社長,のち社長。昭和3年11月27日死去。68歳。紀伊(きい)日高郡(和歌山県)出身。慶応義塾卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by