アフリカ南東部、マダガスカル中央部にある同国の首都。旧名タナナリブTananarive。地名は「1000人の人の集まった町」の意味である。人口110万3304(1993センサス)、127万5207(2018センサス)。ベチミタトラ平原を見下ろす標高1248メートルの丘の上にある。気候は5~9月の乾期を除き高温多湿である。マダガスカル島の商業、工業の中心地であり、鉄道、道路もここを基点として発達し、西南西50キロメートルには国際空港もある。工業は製靴、皮革、せっけん、食用油、肉缶詰、印刷、木材加工、たばこ、製粉などほとんどが軽工業である。町は最高所の、ラナバロナ3世(1845―1917)が建設した王宮(ロバ)を中心に発展し、ラダマ1世(1793―1828)がつくったといわれるアノシ人造湖、前首相ライニライアリボニRainilaiarivony(1828―1896)の住んでいたバロック風宮殿(現在美術学校)、ボイロン要塞(ようさい)、アングリカン教会などがある。そのほか、パスツール研究所、各種学校、軍事基地、農事試験所などがある。町にはフランス人、中国人、インド人も居住している。町の起源は17世紀にさかのぼり、ホバ人の首長によってつくられ、アンドリアナムポイニメリナ王(1745―1810)およびラダマ1世の治世に拡大した。ラナバロナ2世(1829―1883)が1870年プロテスタントに改宗してから多くの教会が建てられた。さらに1895年フランス軍が侵入し、同国占領下のガリエニ総督下で急速に近代都市として発展した。なお、2001年、郊外にあるアンブヒマンガの丘の王領地が世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[林 晃史]
アフリカ大陸に近いインド洋の大島マダガスカルの首都。人口102万(2005)。かつてタナナリブTananariveといわれたが,1975年の社会主義革命の後に現在の名称に変えられた。島の内陸の標高1435mの高地にあり,北東のタマタブ港および南西のアンツィラベに通じる鉄道,道路網の中心で,国際空港もある。各種農産物加工業と商業が盛んである。マダガスカル大学など教育・文化施設も整っている。1625年頃城壁に囲まれた集落として建設され,1797年にメリナ族の支配者の居城となり,1810-28年にメリナ族が全島を征服した結果,その首都となった。95年フランスに占領され,フランス植民地の政庁が置かれた。フランスの都市計画によって近代都市の形態を整えたが,丘の頂上にはメリナ族の旧王宮が残されている。湿地帯を改良して建設された市街に接して,小さい湖が残っている。
執筆者:西野 照太郎
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