日本の城がわかる事典 「楯岡城」の解説 たておかじょう【楯岡城】 山形県村山市(旧楯岡町)にあった中世の城郭。東西400m、南北200mの西楯山と、東西200m、南北150mの中楯山を城域とし、周囲を断崖絶壁で囲まれた堅固な山城(やまじろ)である。鎌倉時代初めの1208年(承元2)に前森氏が築城したといわれている。ついで本城氏が、1406年(応永13)には最上満直の四男の楯岡満国が入城し、以後楯岡氏が7代189年にわたって城主となった。最後の城主が最上義光の弟の楯岡光直で、義光の死後、その跡目をめぐって家臣と対立して御家騒動に発展し、1622年(元和8)の最上家改易の原因をつくった。この改易ののち、楯岡城は廃城となった。現在、頂上部周辺に郭跡が残っており、南側斜面には石垣も残されている。麓の登城口まではJR奥羽本線村山駅から徒歩約20分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報