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御家騒動 おいえそうどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

御家騒動
おいえそうどう

家督,家政をめぐる家族内部の紛争。特に江戸時代,大名家中に起ったそれをさす。江戸時代の御家騒動は,家族制度長子相続制と蓄妾制度,主従関係が幕藩体制の展開過程に即して表われたもので,正徳,享保の間 (1710年代) を境として,前期と後期に分けられる。

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デジタル大辞泉の解説

おいえ‐そうどう〔おいへサウドウ〕【御家騒動】

江戸時代、大名などの家中で、家督相続や権力争いなどから起こった紛争。加賀伊達(だて)・黒田・鍋島(なべしま)藩などのものが有名。
会社・団体などの内輪もめ。内紛。

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百科事典マイペディアの解説

御家騒動【おいえそうどう】

江戸時代,大名家内部の紛争事件。大名の家督相続争いや,藩内の政治経済上の利害関係をめぐる有力家臣の主導権争いに起因することが多い。17世紀後半以降に全国的に多発している。
→関連項目池田騒動出石藩お由羅騒動福江藩

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世界大百科事典 第2版の解説

おいえそうどう【御家騒動】

江戸時代に起きた大名家の内訌をいう。それは,幕藩制国家の成立と解体の過程に応じて,異なった展開と性格を示している。幕藩制国家は,だいたい17世紀後半に成立するが,農村・都市から,幕府・諸藩の政治機構や家臣団の構成に至るまで,大きな変動を伴っている。支配層の内部でも,藩体制の確立をめぐって新旧両勢力の対立が激化し,講談・歌舞伎などの好題目とされた(お家物)。江戸前期の御家騒動は,後期のそれと同様,近世史の研究の進歩につれて多数の事例が発掘されてきたが,とくに有名なものに,伊達騒動越後騒動黒田騒動鍋島騒動などがある。

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大辞林 第三版の解説

おいえそうどう【御家騒動】

江戸時代、大名家の家督相続争いや権臣の権力争いなどをきっかけにして起こった、藩全体の争い。伊達だて騒動・黒田騒動など。
一つの家庭・組織などの中での勢力争い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

御家騒動
おいえそうどう

江戸時代、大名の相続争いや家臣の権力・派閥抗争を発端とする藩内騒動をいう。将軍家や武士以外の百姓・町人の家にも起こっているが、一般に御家騒動といえば大名家の騒動をいう。有名な御家騒動として、鍋島(なべしま)騒動(佐賀藩)、黒田騒動(福岡藩)、最上(もがみ)騒動(山形藩)、生駒(いこま)騒動(高松藩)、会津騒動(会津藩)、伊達(だて)騒動(仙台藩)、越後(えちご)騒動(高田藩)、加賀騒動(金沢藩)、佐竹騒動(秋田藩)、白黒(しろくろ)騒動(小倉(こくら)藩)、仙石(せんごく)騒動(出石(いずし)藩)、お由良(ゆら)騒動(薩摩(さつま)藩)、有馬(ありま)騒動(久留米(くるめ)藩)などがあるが、御家騒動にまで発展しないで終わった藩内騒動は数多い。将軍家の場合、初期には、2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の後嗣(こうし)をめぐって長男家光(いえみつ)と次男忠長(ただなが)の確執があり、幕末には、13代将軍家定(いえさだ)の後嗣をめぐって、紀州藩主徳川慶福(よしとみ)(のち家茂(いえもち))を擁立する門閥譜代(ふだい)層と、一橋(ひとつばし)家の当主慶喜(よしのぶ)を擁立する徳川一門の熾烈(しれつ)な抗争があった。
 大名家の御家騒動では、幕藩体制が確立する初期と解体する後期では、その原因や性格にかなり大きな違いがあるが、外様(とざま)大名の御家騒動と譜代大名のそれとの間にも段階的な違いがあった。[藤野 保]

初期の御家騒動

初期の御家騒動は、戦国期の臨戦体制から平和時の幕藩体制に移行する過程に内在した矛盾が激発したものであり、そこでは、大名と生死をともにし、藩体制の基礎を築き上げた武功派の門閥家臣と、若き世襲藩主の意志を実行し、新しい時代に即応しようとする吏僚派の新参家臣の対立・抗争という形をとる場合が多い。藩祖(初代)に次ぐ2代、3代目に御家騒動が勃発(ぼっぱつ)した理由は、そこにある。黒田騒動はその典型を示しているが、御家騒動にまで発展しなくとも、この種の新旧家臣団の対立・抗争は、藩体制の確立期にみられる共通の現象である。この点、「猫化け騒動」で知られる鍋島騒動は、藩主が龍造寺(りゅうぞうじ)氏から重臣の鍋島氏に移行したことに起因する、龍造寺直系高房(たかふさ)―伯庵(はくあん)父子の怨念(おんねん)から発したもので、例外をなしている。こうした家臣団の対立・抗争は、最上騒動や伊達騒動の例が示すように、幼少の藩主の就任を契機に熾烈な御家騒動に発展する。この場合は、大名家の相続争いという形をとる場合が多く、それは、幕藩体制下の長子単独相続制の確立過程に内在した矛盾の現れであった。この点、将軍家も例外ではない。秀忠の長男家光と次男忠長の確執がそれを示しており、その結果は、家光の忠長に対する改易によって、徳川本家=将軍家の徳川一門に対する絶対権が確立された。幼少の藩主のもとで御家騒動が勃発したということは、本家=大名家の一門・重臣に対する絶対権が確立されていなかったことを示しており、御家騒動を契機に長子単独相続制が確立・定着し、藩主権力が強化された。初期の御家騒動が外様大名に多かったのに対し、徳川一門・譜代大名の御家騒動は、外様大名より一段階遅れて天和(てんな)~元禄(げんろく)期(1681~1704)に勃発したものが多い。それは、これら徳川系大名が外様大名より遅れて成立し、ようやくこの期に至って、大名家の相続争いと絡み、家臣の権力・派閥抗争が表面化したことを示している。[藤野 保]

後期の御家騒動

後期の御家騒動は、幕藩体制の解体過程に内在した矛盾が激発したものであり、それは、藩財政の窮乏を原因とする藩政機能の停滞現象のなかで、現状維持を第一とする門閥守旧派と、現状を打開し藩政を改革しようとする中下士層の対立・抗争という形をとる場合が多い。そのため後期の御家騒動は、藩主の地位をめぐる一門・重臣の争いにとどまることなく、藩政の動揺を打開するための財政・経済政策をめぐる新旧家臣団の対立・抗争という形をとり、藩政改革にまで発展する。加賀騒動の大槻朝元(おおつきとももと)(伝蔵)は、藩主前田吉徳(よしのり)の信任を得て足軽から立身出世し、藩財政の再建にあたったが、門閥守旧派の反対を受け、ついには藩主一族毒殺の失敗から越中(えっちゅう)五箇山(ごかやま)に流刑されて自殺した。藩主上杉治憲(はるのり)(鷹山(ようざん))の主導によって藩政改革に成功した米沢(よねざわ)藩においても、中下士層を中心とする改革派に対して門閥守旧派の反対があり、治憲は、これらの反対派に対して切腹ないし隠居閉門を命じている。このことは、御家騒動にまで発展しなくとも、後期の藩政改革には新旧家臣団の藩内騒動が共通に存在したことを示している。それが、藩内外の情勢がいっそう複雑になる幕末には、改革派と保守派の対立・抗争がさらに激化する。鹿児島藩(薩摩藩)のお由良騒動がそれを代表し、藩主島津斉興(なりおき)の後嗣をめぐって、嫡子斉彬(なりあきら)と斉興の側室お由良の子久光(ひさみつ)との間に熾烈な御家騒動が勃発した。改革派を代表する斉彬の藩主就任は、幕末維新における同藩の方向を決定づけたが、萩(はぎ)藩(長州藩)をはじめ、幕末の藩内闘争は、こうした改革派と保守派の対立・抗争の極点を示している。そのなかから公武合体派あるいは尊攘(そんじょう)派・討幕派が成立し、明治維新を迎えたのである。[藤野 保]

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世界大百科事典内の御家騒動の言及

【江戸時代】より

…大名と家老の関係は独立して所領をもつものどうしのいわば軍事的指揮関係であり,両者を結びつけているのは戦の経験を共有する独立した軍団の長の間の信頼関係であった。このような関係が,初代の死後を継いだ2代目の若い主君と誇り高い老巧の家老との間で成立しえないのはむしろ当然であり(黒田長政と後藤基次の関係はその好例である),江戸時代初期には両者の関係が原因となった御家騒動が頻発し,これによって取りつぶされた大名は少なくない。 幕府は秩序の安定のため,こうした紛争では大名の側に立つ政策を一貫して取り(元和の〈一国一城令〉は,藩中藩を作る家老の勢力をそぐ意味もあった),また家老の軍団を支えていた小市場圏が,大名の城下町を中心とした市場圏(三都を中心として成立した全国市場と結びついていた)に吸収・再編成されたことによって,軍団の長としての家老の独立性も失われた。…

【伊達騒動】より

…歌舞伎狂言《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》や山本周五郎の小説《樅(もみ)ノ木は残った》等で有名な仙台藩の御家騒動。寛文事件ともいう。…

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