極入村
ごくにゆうむら
[現在地名]西会津町奥川飯根
小屋村の北、奥川最上流域の山間にあり、耶麻郡吉田組に属した。南東は宮古村(現山都町)、北西方は山を隔てて越後国蒲原郡実川村(現新潟県鹿瀬町)。本村の北一里八町ほど奥川の水源近くに小名弥平四郎がある。同所は木地師集落で、矢部家系図(矢部家文書)によると、寛文三年(一六六三)梨平村大沢山の木地師たちが移住して開いた地という。弥平四郎は飯豊山登拝口の一つでもあり、同所経由の登拝道は会津藩領内西部の登拝者が多く利用、俗に飯豊山裏街道ともよばれた(「新編会津風土記」など)。文禄三年(一五九四)の検地帳写(佐藤家文書)には「山郡奥川之内極入村」とあり、高一〇二石九斗四升、田・畑・屋敷を合せて反別は二二町五反余、家数一三で、蒲生氏家臣篠田助一の給地であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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