日本大百科全書(ニッポニカ) 「極楽寺瓦経塚」の意味・わかりやすい解説
極楽寺瓦経塚
ごくらくじがきょうづか
兵庫県姫路(ひめじ)市香寺町須賀院(こうでらちょうすかいん)の常福寺裏山山頂に存在する経塚で、瓦経を主体としている。18世紀の末、500点以上の瓦経が発見されたようであるが、その大部分は拓本によって伝えられているにすぎない。「康治(こうじ)二年」(1143)、「天養(てんよう)元年」(1144)の在銘品が存在し、経典には『法華経(ほけきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』のほか十数種がみられ、それに長文の願文が添えられている。この願文によって東寺(とうじ)僧の禅慧(ぜんえ)が勧進(かんじん)し、工人が佐伯末行(さえきすえゆき)(大工(だいく))と同秋里(あきさと)(小工(しょうく))であったことが知られる。このほかにも瓦(かわら)製の五輪塔、仏像、土器皿などがみいだされており、有数の瓦経塚である。
[坂詰秀一]