楽群舎跡(読み)らくぐんしやあと

日本歴史地名大系 「楽群舎跡」の解説

楽群舎跡
らくぐんしやあと

寛政一一年(一七九九)出口でぐち村庄屋大戸士孝(木綿屋久三郎)と豪商浦上盛栄(号渓南)によって、盛栄の別荘内に創設されたといわれる私塾。所在地は府中市ふちゆういち村とする理解(福山志料、芦品郡志)もあるが、出口村に推定する説もあり、確定できない。

創設の経緯について「福山志料」は「出口村久三郎カ兄爨ヲワカチテ居シカ死シテノチ負債アリ、久三郎ミナコレヲツクノフ、盛栄ニカヘセシ若干金盛栄辞シテ受ケス、両人議シテ其金ヲモチテ書院ヲタツ、楽群舎ハ博士柴栗山先生ノナツクル所、扁額モソノ書也」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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