槇本楠郎(読み)マキモト クスロウ

20世紀日本人名事典 「槇本楠郎」の解説

槇本 楠郎
マキモト クスロウ

大正・昭和期の児童文学者,歌人



生年
明治31(1898)年8月1日

没年
昭和31(1956)年9月15日

出生地
岡山県吉備郡福谷村

本名
槇本 楠男

学歴〔年〕
早稲田大学予科中退

経歴
農業にたずさわりながら文学を学び、大正11年詩集「処女林のひびき」を、14年編著「吉備郡民謡集」を刊行。のち児童文学面でプロレタリア文学運動に参加し「プロレタリア児童文学の諸問題」「プロレタリア童謡講話」、童謡集「赤い旗」を昭和5年に刊行。日本のファッショ化が進んだ10年から11年にかけては「新児童文学理論」や「仔猫の裁判」などの童話集を多く刊行。戦後共産党入党、児童文学者協会で活躍するなど、生涯を民主的、芸術的児童文学のためのたたかいに捧げた。歌集に「婆婆の歌」(無産者歌人叢書)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「槇本楠郎」の意味・わかりやすい解説

槇本楠郎
まきもとくすろう
(1898―1956)

児童文学者。岡山県に生まれる。本名楠男。早稲田(わせだ)大学中退後、プロレタリア児童文学運動に参加、その理論的推進者となる。1930年(昭和5)に出版された『プロレタリア児童文学の諸問題』『プロレタリア童謡講話』は、当時の運動の記念碑的存在である。33年、雑誌『教育論叢(ろんそう)』に発表した『仔猫(こねこ)の裁判』『掃除当番』などは集団主義童話と評価され、岡本良雄らに影響を与えた。39年からは病床にありがちで、昭和31年9月14日死去。

[向川幹雄]

『『日本児童文学大系 槇本楠郎集他』(1978・ほるぷ出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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