20世紀日本人名事典 「槌田龍太郎」の解説
槌田 龍太郎
ツチダ リュウタロウ
昭和期の化学者 大阪帝大教授。
- 生年
- 明治36(1903)年4月20日
- 没年
- 昭和37(1962)年5月9日
- 出生地
- 京都府京都市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大理学部〔昭和3年〕卒
- 学位〔年〕
- 理学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 日本化学会賞(昭29年度)〔昭和30年〕「金属錯塩化合物の研究」
- 経歴
- 柴田雄次の下で錯塩化学を研究、東京府立高校教授となり、昭和7年イギリス、ドイツに留学、10年帰国して大阪帝大助教授、11年教授となった。無機化学講座を担当。13年錯塩の分光化学系列を発見、14年発表した「簡易原子価説」は当時認められなかったが、化学結合論の先駆をなすものであった。16年応召、中ソ国境に配属、17年召集解除。20年富山県立山山麓に疎開、農業に関心を深め、硫安の多量使用に反対、尿素使用を提唱。また原水爆禁止運動にも参加した。32年内定した関西地区研究用原子炉宇治設置に反対し、その危険性を警告、学内から告発した。教育にも熱心で雑誌「化学」の創刊に努力し、同誌に多くの論説を発表した。著書に「化学概論上」「化学序論」「化学者槌田龍太郎の意見」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報