槻下村(読み)つきのしたむら

日本歴史地名大系 「槻下村」の解説

槻下村
つきのしたむら

[現在地名]東伯町槻下

中尾なかお村の東に位置し、東は大谷おおだに(現大栄町)。月下村とも記した(正保国絵図)斎尾さいのお八橋やばせ往来が、二軒屋にけんや伯耆街道が東西に通り、斎尾付近には駕籠据場かごすえば地名が残る。年未詳四月二九日の尼子晴久書状(閥閲録)に「槻下」とみえる。同書状によれば晴久は伊賀三郎五郎に対し、敵陣を退け居城を守った見返りに当地一五〇石などを宛行うことを約している。寛永一〇年(一六三三)の槻下村畠方地詰帳(東伯町民俗資料館蔵)によれば畠方七町一反余(上畠七反余・中畠三反余・下畠五反余・下々畠四町一反余・開合一町余・屋敷二反余)、家数二二。拝領高は四八四石余、本免は四ツ二分。藪役銀二〇匁を課されており、天保三年(一八三二)山林は五町三反余(藩史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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