槻下館跡(読み)つきのしたたてあと

日本歴史地名大系 「槻下館跡」の解説

槻下館跡
つきのしたたてあと

[現在地名]東伯町槻下 大堀

槻下集落の東側、低丘陵の西斜面に位置する鎌倉時代の館跡。幅約一〇メートルの堀を方形にめぐらした二つの区画東西に連続して残る。西側の区画は四〇メートル四方で、周囲を高さ三メートルほどの土塁がめぐっている。土塁北辺の一部が途切れており、入口と推定される。東側の区画は東西三〇メートル・南北五〇メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む