日本歴史地名大系 「横萢村」の解説
横萢村
よこやちむら
[現在地名]鶴田町横萢
東は
貞享元年(一六八四)の郷村帳に一千二二九石とあり、寛文四年(一六六四)以後の新田とされる。貞享四年の検地帳に、支村松倉村・梅田村を含まない田方一六町三反七畝二六歩、畑方七町七反六畝一二歩、屋敷八反八畝一五歩、田畑屋敷合せて二五町二畝二三歩、村高一八五・三二九石、百姓三〇人とある。また支村を含めた村全体に、漆木二本、以前に鷹待場であった留林二六町八反八畝があった。「平山日記」によれば元和―寛永年間(一六一五―四四)から開発の始まった三千石遣に含まれ、元禄三年(一六九〇)には柏木組に属し、村位は中とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報