横隈村(読み)よこぐまむら

日本歴史地名大系 「横隈村」の解説

横隈村
よこぐまむら

[現在地名]小郡市横隈・三国みくにおか五―七丁目

宝満ほうまん川中流右岸に位置し、西は三沢みつさわ村に接する。三国丘陵の末端が北西部に広がる。正慶二年(一三三三)三月一三日、鎮西探題北条英時攻撃に失敗して敗死した菊池武時の幼い孫と若党らが肥後国に落ち行く途中の「横隈」で筑前博多に上る途次の三河守某と行会って、討取られたという(楠木合戦注文・博多日記)。文禄四年(一五九五)一二月一日の問注所小兵衛尉知行方目録(問注所文書)では三原みはら郡内の「よこくま村」の三八四石余など一千六〇〇石が問注所小兵衛尉の領知となっている。本高は四八六石余(元禄国絵図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む