20世紀日本人名事典 「橋本恵光」の解説 橋本 恵光ハシモト エコウ 大正・昭和期の僧侶 福井県宝慶寺住職。 生年明治23(1890)年11月24日 没年昭和40(1965)年7月10日 出生地愛知県名古屋市 別名道号=聯道,号=恁麼室 経歴13歳の時に愛知の雲居寺に入って得度し、同寺の住職中村聯秀や尾張善篤寺の中村〓宗、伊豆修善寺の丘宗潭らのもとで修行。大正1年聯秀の法を嗣ぎ、雲居寺住職となる。のち愛知に平常庵を開いたほか、師家として名古屋護国院後堂や鳥取大樹寺僧堂などで修行僧の指導に当たり、昭和23年福井永平寺眼蔵会の講師を務めた。36年福井宝慶寺住職。著書に「正法眼蔵道心講述」「普勧坐禅儀講述」「調息のしおり」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本恵光」の解説 橋本恵光 はしもと-えこう 1890-1965 大正-昭和時代の僧。明治23年11月24日生まれ。曹洞(そうとう)宗。丘宗潭(そうたん)らにまなぶ。大正元年愛知県雲居寺住職。鳥取県大樹寺などで師家(しけ)として修行僧を指導。昭和23年永平寺眼蔵会(げんぞうえ)講師。36年福井県宝慶寺の住職となった。昭和40年7月10日死去。74歳。愛知県出身。号は聯道。著作に「普勧坐禅儀講述」「調息のしおり」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by