橋立金山跡(読み)はしだてきんざんあと

日本歴史地名大系 「橋立金山跡」の解説

橋立金山跡
はしだてきんざんあと

[現在地名]青海町橋立

白鳥はくちよう山の北麓、青海川の支流金山谷に立地。鎌倉時代に試掘上杉氏が盛んに採掘したが、上杉氏の会津移封とともに廃山となったと伝える。慶長年中(一五九六―一六一五)中頃にも試掘されたが、水抜きできないために放棄されたという。寛文八年(一六六八)早川はやかわ谷の斎藤仁左衛門が新田開発願を出し、そのなかで橋立金山の金掘りを雇い用水路を掘りたいとしているから、この頃も採掘されていたと思われる(青海)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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