日本歴史地名大系 「正万寺町」の解説 正万寺町しようまんじちよう 愛知県:名古屋市中区正万寺町[現在地名]中区丸の内(まるのうち)一丁目御園(みその)町筋西の正万寺町筋北端に位置し、南は皆戸(みなと)町に接する。京(きよう)町筋と杉(すぎ)の町筋との間の二丁をいう(尾張志)。初め勝鬘寺(しようまんじ)町とも書いた。天正年中(一五七三―九二)清須(きよす)にて額田(ぬかた)郡針崎(はりさき)村(現岡崎市)勝鬘寺が通い所を建立、門前に商家を置いて勝鬘寺町とよんだ。慶長一七年(一六一二)寺とともに名古屋へ移転し、旧号を用いた。しかし寛永九年(一六三二)通い所は大津(おおつ)町へ移り、町だけが残った。勝鬘寺という町名に正万寺の字をあてる由来について「尾張城南陌名由緒」は「是ハ聖徳太子日本ニ寺四ケ所御建立被成候、其針崎勝鬘寺ハ其一寺にて、聖徳太子幼少之節勝鬘太子と申候、其名を御取被成、勝鬘寺と寺号御付被成候、其後従公方様御朱印を被下置候節、此正万寺を御添被下候、依去御朱印之御取扱之節ハ、此正万寺を用申候」と説く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by