勝鬘寺(読み)しようまんじ

日本歴史地名大系 「勝鬘寺」の解説

勝鬘寺
しようまんじ

[現在地名]福井市風尾町

風尾かざおの西山麓にあり、風尾山徳授院と号する。真宗高田派、本尊弥陀如来。斎藤実盛の一族唯明の開基と伝える。正和五年(一三一六)一一月一五日のあま寄進状が残り、鎌倉末期頃の創建かと思われる。寛正六年(一四六五)の延暦寺御番留(一身田専修寺文書)に「東塔雑掌 風尾勝慢寺」とみえる。その後、伊勢の高田専修たかだせんじゆ寺住持職を越前真智と伊勢の応真とが争った時には、真智を擁立する越前の大坊四ヵ寺の一寺となった。大永二年(一五二二)八月九日の明栄等誓約状(同文書)に「風尾明真」とあり、また永禄四年(一五六一)一〇月二〇日の勝鬘寺明秀等連署状もある。

勝鬘寺
しようまんじ

[現在地名]岡崎市針崎町 朱印地

針崎はりさき地籍の西に位置し、北から続いてきた台地の先端、丘の上の木立に囲まれたところにある。和田山または寂光山とよび、本尊阿弥陀如来、真宗大谷派。勝万寺とも記す。寺伝によると、聖徳太子の創建といい、天台宗に属したが、正嘉二年(一二五八)信願房了海が真宗の開祖親鸞の教化活動に帰依して荒廃していた勝鬘寺を碧海あおみ赤渋あかしぶの地に再興して道場とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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