正木 清
マサキ キヨシ
大正・昭和期の政治家,社会運動家 衆院議員(社会党)。
- 生年
- 明治33(1900)年5月30日
- 没年
- 昭和36(1961)年4月12日
- 出生地
- 福島県石城郡好間村(現・いわき市)
- 学歴〔年〕
- 小学卒
- 経歴
- 炭抗の給仕などをし、大正10年上京。関東大震災で帰郷するが、13年小樽に移住し鉄筋工などをする。14年小樽総労働組合に参加、同組合が評議会に加盟すると共に北海道地方評議会常任執行委員となり多くの争議を指導。昭和3年の3.15事件で検挙され懲役2年に処せられた。出獄後は日雇労働者となり、6年新労農党に参加し、9年札幌市議に、12年社会大衆党道連合会書記長、17年翼賛選挙で衆院議員となる。戦後社会党に入党。芦田内閣商工政務次官となり、33年衆院副議長になった。’60年安保条約の強行採決に反対して副議長を辞任。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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正木 清
マサキ キヨシ
- 肩書
- 衆院議員(社会党)
- 生年月日
- 明治33年5月30日
- 出生地
- 福島県石城郡好間村(現・いわき市)
- 学歴
- 小学卒
- 経歴
- 炭抗の給仕などをし、大正10年上京。関東大震災で帰郷するが、13年小樽に移住し鉄筋工などをする。14年小樽総労働組合に参加、同組合が評議会に加盟すると共に北海道地方評議会常任執行委員となり多くの争議を指導。昭和3年の3.15事件で検挙され懲役2年に処せられた。出獄後は日雇労働者となり、6年新労農党に参加し、9年札幌市議に、12年社会大衆党道連合会書記長、17年翼賛選挙で衆院議員となる。戦後社会党に入党。芦田内閣商工政務次官となり、33年衆院副議長になった。’60年安保条約の強行採決に反対して副議長を辞任。
- 没年月日
- 昭和36年4月12日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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正木清 まさき-きよし
1900-1961 大正-昭和時代の政治家。
明治33年5月30日生まれ。大正13年北海道小樽に移住。札幌市議,北海道議をへて,昭和17年衆議院議員(当選7回)。戦後,社会党結成にくわわり,同党の国会対策委員長などをつとめる。33年衆議院副議長。昭和36年4月12日死去。60歳。福島県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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正木 清 (まさき きよし)
生年月日:1900年5月30日
大正時代;昭和時代の政治家;社会運動家。衆議院議員
1961年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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