武内検校(読み)タケウチケンギョウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「武内検校」の解説

武内検校
タケウチケンギョウ


職業
地歌箏曲

本名
武内 城継(タケウチ ジョウケイ)

生年月日
嘉永5年 5月10日

出生地
備後国尾道(広島県)

経歴
2歳のとき半ば失明し、5歳で葛原勾当に箏曲を師事。8歳で教授を始め、17歳のとき全盲に。箏の名手として知られ、明治、大正にかけ活躍。作曲に「養老の曲」「吉野夫人の曲」「鶴亀の曲」「瑠璃高嶺」「千代の歩」などがあり、箏の手付も数多い。門下には中島守之、青木敏夫ら数百人に及んだ。

没年月日
昭和2年 9月18日 (1927年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「武内検校」の解説

武内 検校
タケウチ ケンギョウ

明治・大正期の地唄箏曲家



生年
嘉永5年5月10日(1852年)

没年
昭和2(1927)年9月18日

出生地
備後国尾道(広島県)

本名
武内 城継(タケウチ ジョウケイ)

経歴
2歳のとき半ば失明し、5歳で葛原勾当に箏曲を師事。8歳で教授を始め、17歳のとき全盲に。箏の名手として知られ、明治、大正にかけ活躍。作曲に「養老の曲」「吉野夫人の曲」「鶴亀の曲」「瑠璃の高嶺」「千代の歩」などがあり、箏の手付も数多い。門下には中島守之、青木敏夫ら数百人に及んだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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