デジタル大辞泉
「鶴亀」の意味・読み・例文・類語
つるかめ【鶴亀】[曲名]
謡曲。脇能物。喜多流では「月宮殿」。唐土の皇帝が新春の節会に鶴と亀に舞をまわせ、みずからも月宮殿で舞楽に興じる。
長唄。謡曲「鶴亀」の詞章に10世杵屋六左衛門が作曲したもの。嘉永4年(1851)発表。
常磐津。本名題「細石巌鶴亀」。3世瀬川如皐作詞、4世岸沢古式部作曲。文久元年(1861)発表。
つる‐かめ【鶴亀】
[名]ツルとカメ。長寿でめでたいものとして、祝儀などに用いられる。
[感]縁起直しにいう語。ふつう「つるかめつるかめ」の形で用いる。
「そいつあ愜いませんぜ。― ―」〈鴎外・百物語〉
[類語]竜虎・虎狼・牛馬・犬猿・狐狸・蛇蝎
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
つる‐かめ【鶴亀】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 鶴と亀。いずれも寿命が長いとされるところから縁起をかついで祝儀に用い、また、長寿の象徴としても用いる。
- [初出の実例]「つるかめにつけて、きみをおもひ」(出典:古今和歌集(905‐914)仮名序)
- ② 縁起をかついで①を刻んだり描いたりした柄や模様。
- [初出の実例]「ぢずりの裳にもかねをのべて、すはまつるかめをしたるに」(出典:今鏡(1170)二)
- [ 2 ] 〘 感動詞 〙 =つるかめつるかめ(鶴亀鶴亀)
- [初出の実例]「あア七里けっぱい鶴亀(ツルカメ)ぢゃ」(出典:人情本・恩愛二葉草(1834)初)
- [ 3 ]
- [ 一 ] 謡曲。脇能物。各流。作者未詳。中国の華麗な宮殿で初春の節会(せちえ)が行なわれ、皇帝は大臣や群臣の拝賀をうけて、鶴と亀の舞を見物し、また自分でも舞を舞う。代表的祝言能。喜多流では「月宮殿」という。
- [ 二 ] [ 一 ]に取材した三味線音楽。
- (イ) 長唄。能の詞章に一〇世杵屋六左衛門が作曲。嘉永四年(一八五一)初演。能の囃子(はやし)を巧みに使った名曲。
- (ロ) 常磐津。三世瀬川如皐・三世桜田治助作詞。四世岸沢古式部作曲。本名題「細石巖鶴亀(さざれいしいわおのつるかめ)」。文久元年(一八六一)初演。常磐津派と岸沢派とが分離したのちの曲で岸沢派の隆盛を祝ったもの。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
鶴亀 (つるかめ)
能,邦楽の曲名。(1)能 喜多流は《月宮殿》と称する。脇能物。作者不明。シテは中国の皇帝。中国古代の王宮で新春の節会(せちえ)が行われている。官人(アイ)の先触れがあって皇帝が玉座につく(〈真ノ来序〉)。廷臣一同(ワキ・ワキヅレ)が居並んで帝を敬うその宮殿のありさまは,金銀珠玉に飾られて輝きわたり,仙境さながらのめでたさである。毎年の嘉例で鶴と亀(ツレまたは子方)が舞(〈天女ノ舞〉)を舞い千年万年の寿命を帝に捧げると,帝もみずから袖を翻して舞楽に興じ(〈楽(がく)〉),めでたく舞い納めて還御となる。もっとも古風な能のひとつで,筋らしい筋はなく,ただめでたくにぎやかに演じられる。脇能物に分類されてはいるが,一般の脇能とは構成が違い,延年の大風流などに近い形に作られている。
執筆者:横道 万里雄(2)長唄 1851年(嘉永4)南部藩侯邸で初演。10代杵屋(きねや)六左衛門作曲。ほぼ能の詞章にもとづいており,荘重で美しい名曲。(3)常磐津 本名題《細石巌(さざれいしいわおの)鶴亀》。作詞3世瀬川如皐(じよこう),3世桜田治助,作曲4世岸沢古式部(5世岸沢式佐)。岸沢が独立した後の曲で,同派の隆盛を祝っている。
執筆者:長尾 一雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鶴亀(能)
つるかめ
能の曲目。初番目・脇(わき)能物。五流現行曲。喜多(きた)流は『月宮殿(げっきゅうでん)』という。中国の帝王をシテとする破格の脇能であり、詞章としてはもっとも短編の能であるが、新年の寿(ことほ)ぎを主題とし、好まれてきた作品である。謡曲の稽古(けいこ)始めに習う曲でもある。官人(間(あい)狂言)が帝(みかど)の月宮殿行幸を告げる。玄宗皇帝(シテ)が群臣(ワキ・ワキツレ)を従えて登場。四季の節会(せちえ)の最初の儀式であることを謡い、参賀の人のおびただしさと、宮殿の壮麗さが描写される。鶴と亀(ツレ)の祝賀の舞ののち、皇帝も自ら立って慶(よろこ)びの舞を舞い、宮殿に還御の態で終わる。鶴を女姿、亀を男姿とし、子方で演ずることもあり、大人のツレの場合は能面をかける。シテは素顔のまま演ずる。
謡曲からとった長唄(ながうた)『鶴亀』は幕末の10世杵屋(きねや)六左衛門の作品で、名曲の誉れが高い。常磐津(ときわず)に『細石巌鶴亀(さざれいしいわおのつるかめ)』がある。
[増田正造]
鶴亀(装飾)
つるかめ
鶴と亀はいずれも寿命の長い、めでたい動物とされ、縁起物としてさまざまな装飾に用いられた。鶴・亀を瑞祥(ずいしょう)の動物とし、これを装飾のモチーフに用いたのは平安時代からで、『栄花物語』の「けぶりの後」の条に「女房の装束例の心々にいどみたり。すぢをき、鶴亀松竹など、心々にし尽くしたり」とあり、すでにこの時期に、鶴亀松竹の模様が用いられていたことがわかる。なお遺品としては、藤原時代の重要文化財「蓬莱山蒔絵袈裟箱(ほうらいさんまきえけさばこ)」(法隆寺献納宝物、東京国立博物館蔵)がもっとも古いものの一つであろう。
[村元雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
鶴亀
つるかめ
能楽,地歌,箏,長唄,常磐津の曲目。 (1) 能楽 別称『月宮殿』。作者未詳。脇能物。中国の宮殿で四季の節会の事始めが催され,皇帝が不老門で百官卿相の拝賀と万民からの礼拝を受け,嘉例によって鶴と亀を舞わせ,その後,皇帝も舞楽を奏せしめてみずから舞い,長生殿に還御するという内容で,短編のなかにできるだけめでたい文句を並べている。役別はシテ=皇帝,ワキ=大臣,ワキツレ=従臣,ツレ=鶴と亀。 (2) 地歌箏曲 能楽の「庭のいご」のくだりだけを節付けした短い曲。京都では2世松崎検校の作曲とされ,箏は平調子,三味線は二上りであるが,大阪では三味線を三下りともし,また,別に武内城継作曲の雲井調子の箏の手もある。ほかに,楯山登作曲の能のほぼ全文によるものもある。山田流では「鶴は千代」のくだりだけの曲で,初心者に対する手ほどき曲。箏は平調子。三味線は三下りの曲。 (3) 長唄 能楽『鶴亀』の文句をほとんどそのまま取って長唄化した曲。嘉永4 (1851) 年,10世杵屋六左衛門作曲。本調子,二上り,本調子と転調する荘重典雅な曲。 (4) 常磐津節 本名題『細石巌鶴亀 (ざれいしいわおのつるかめ) 』。文久1 (1861) 年開曲。3世瀬川如皐作詞,4世岸沢古式部作曲。常磐津派との分裂後,岸沢派の繁栄を祝った曲で,能楽の詞章を思い切ってやわらげて,口説を中心とした曲。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
鶴亀【つるかめ】
(1)能の曲名。脇能物。五流現行。〈月宮殿〉とも。作者不詳。月宮殿での新春の節会(せちえ)に唐土の皇帝は鶴亀を舞わせ,自らも舞楽を舞う。(2)長唄・常磐津節・地歌・箏曲などの曲名。(1)に基づく祝儀物。長唄は,(1)の詞章をほとんどそのまま使い,この種の長唄の先駆とされる。10世杵屋六左衛門作曲。1851年初演。上方舞の舞地にも使用。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
鶴亀
〔常磐津〕
つるかめ
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 明治14.1(東京・浜の延寮館)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
つるかめ【鶴亀】
愛知の日本酒。蔵元は「鶴亀酒造」。現在は廃業。蔵は碧南市若宮町にあった。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
世界大百科事典(旧版)内の鶴亀の言及
【長唄】より
… 天保期(1830‐44)から幕末にかけても長唄は全盛期であった。歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。…
※「鶴亀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」