葛原勾当 (くずはらこうとう)
生没年:1812-82(文化9-明治15)
盲人の地歌箏曲家。広島出身。本名矢田重美。都名(いちな)は琴の一または美の一。別号一泉,小松。京都で八重崎門下の松野検校に師事。光崎検校から《秋風の曲》の伝授も受ける。また厳島神社で霊感を得て二弦の竹琴を創案したが,同種の八雲琴の存在に驚き,八雲琴およびその音楽の創始者の中山琴主(ことぬし)に師事。創作曲に《狐の嫁入》《おぼろ月》《つぼみの梅》などがある。平がなの木活字を作り1837年(天保8)から82年まで日記を綴った。これは1915年に,孫で童謡作家の葛原しげるにより《葛原勾当日記》として公刊された(1980年現代かなづかいで復刊)。
執筆者:久保田 敏子
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葛原勾当
くずはらこうとう
[生]文化9(1812).3.10. 広島
[没]1882.9.8. 広島
地歌箏曲家。本名矢田重美。前名琴之一,美之一。別号一泉,小松。3歳で失明。9歳より地歌箏曲を学び,11歳で京都へ上り,下派の八重崎検校門下の松野検校に師事。 15歳で勾当となり葛原を名のる。天保 12 (1841) 年光崎検校より『秋風の曲』を伝授され,厳島神社に祈願し,二弦琴「竹琴」を創案。同じ二弦琴「八雲琴」の元祖中山琴主に入門,琴主の『八雲琴譜』初刷本に跋文を寄稿。ひらがなの木活字を工夫し,同8年1月から没年までの日記を発表,1915年『葛原勾当日記』として公刊。門下に吉沢柳之都,武内城継,太宰勝之都がいる。作品に『狐の嫁入』『おぼろ月』『囲いの菊』『つぼみの梅』などがある。童話作家の葛原しげるはその孫。
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葛原勾当
没年:明治15.9.8(1882)
生年:文化9.3.15(1812.4.26)
江戸後期・明治期の地歌箏曲家。本姓矢田,幼名柳三,諱は重美。3歳のとき失明。名は琴の一,のちに美濃一。雅号一泉,俳号似月。11歳のとき,生地備後国八尋村(広島県神辺町)から京都に上り松野検校(当時勾当)に師事。20歳で葛原姓を名乗り,22歳で勾当になる。光崎検校から「秋風の曲」を直伝。二弦琴「竹琴」を創案した。のちにこれと中山琴主考案の二弦琴とを折衷し,「八雲琴」と名付けたとされる。15歳で帰郷,以来三備(広島・岡山県)地方で教授活動し,代筆日記を開始するが,平仮名木活字を考案して天保8(1837)年より自らの捺字で記録。「狐の嫁入」「おぼろ月」などを作曲した。童謡作家葛原しげるは孫。<著作>『葛原勾当日記』(新翻刻,1980)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
葛原勾当 くずはらこうとう
1812-1882 江戸後期-明治時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
文化9年3月15日生まれ。葛原しげるの祖父。3歳で失明。京都の松野検校(けんぎょう)について生田流箏曲をおさめ,勾当となる。平仮名の木活字を工夫し,天保(てんぽう)8年から没年までの記録「葛原勾当日記」をのこした。明治15年9月8日死去。71歳。備後(びんご)(広島県)出身。本名は矢田重美。作品に「狐(きつね)の嫁入」「おぼろ月」など。
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葛原 勾当 (くずはら こうとう)
生年月日:1812年3月15日
江戸時代;明治時代の箏曲家
1882年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の葛原勾当の言及
【二弦琴】より
…壺を左手中指にはめた白竹製の1寸8分(約5cm)ばかりの転管で押さえ,右手人差指にはめた鹿角製の1寸2分(約4cm)ばかりの竜爪で,両弦を同時に弾ずる。地歌・箏曲家の[葛原勾当](くずはらこうとう)も同様な二弦琴を創案,竹琴と称したが,琴主創案のものがあることを知って,これに合流した。琴主の門下は,中国・四国地方から,近畿,江戸に及んだが,神道の宗教音楽的色彩が強くなる一方,大阪などでは地歌・箏曲家が扱って,明治期には[明清楽]とともに流行した。…
【光崎検校】より
…1824年に《絃曲大榛抄(げんきよくたいしんしよう)》の校閲を行うが,晩年の足跡は不明。門下に葛原勾当(1812‐82)がおり,中国系生田流に続く。【久保田 敏子】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」