朝日日本歴史人物事典 「武田有義」の解説
武田有義
生年:生年不詳
鎌倉初期の武将。甲斐国(山梨県)の住人。甲斐源氏信義の子。初め在京して平家に仕え,左兵衛尉に任官するが,治承4(1180)年父に従い一族と共に反平家の兵を挙げる。源頼朝軍に合流してからは,源範頼の麾下西国を転戦した。弓馬の道に優れるが,文治4(1188)年には,御剣役を辞して頼朝の怒りを買ったという。頼朝の死後,有力御家人らと対立し幕府に反旗を翻した梶原景時と通謀,景時により次期将軍に擬せられるが,正治2(1200)年景時の滅亡と相前後して甲斐国の居館より逃亡した。
(三田武繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報