武田有義(読み)たけだ・ありよし

朝日日本歴史人物事典 「武田有義」の解説

武田有義

没年正治2(1200)
生年:生年不詳
鎌倉初期の武将甲斐国(山梨県)の住人。甲斐源氏信義の子。初め在京して平家に仕え,左兵衛尉に任官するが,治承4(1180)年父に従い一族と共に反平家の兵を挙げる。源頼朝軍に合流してからは,源範頼の麾下西国を転戦した。弓馬の道に優れるが,文治4(1188)年には,御剣役を辞して頼朝の怒りを買ったという。頼朝の死後,有力御家人らと対立し幕府反旗を翻した梶原景時通謀,景時により次期将軍に擬せられるが,正治2(1200)年景時の滅亡と相前後して甲斐国の居館より逃亡した。

(三田武繁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田有義」の解説

武田有義 たけだ-ありよし

?-1200? 平安後期-鎌倉時代の武将。
武田信義の子。甲斐(かい)(山梨県)の豪族平重盛につかえたが,治承(じしょう)4年(1180)源頼朝の挙兵に父,兄弟とともにくわわった。正治(しょうじ)2年梶原景時の乱で次期将軍にたてられたが,景時の敗戦ののち行方不明となった。一説に同年8月25日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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