武田耕雲斎等墓(読み)たけだこううんさいとうのはか

国指定史跡ガイド 「武田耕雲斎等墓」の解説

たけだこううんさいとうのはか【武田耕雲斎等墓】


福井県敦賀市松島町にある武田耕雲斎らの墓。市内松原の来迎寺に近接して所在する。尊皇攘夷運動の過激派天狗党終焉の地として歴史上重要なことから、1934年(昭和9)に国の史跡に指定された。水戸藩の天狗党の首領である武田耕雲斎は、藩主徳川斉昭(なりあき)を擁立して以来、改革派の重臣として活動したが、開国の実施、安政の大獄、桜田門外の変を経て、藩内の混乱が続いていた。1864年(慶応1)、幕府に攘夷を迫るとした藤田小四郎ら天狗党の筑波山挙兵が失敗に終わり、耕雲斎は請われて天狗党の首領となり、天狗党一行は京都にいた斉昭の子、一橋慶喜(よしのぶ)の力を借りて朝廷に攘夷を訴えようとし、西上の途についた。途中、諸藩兵や大雪・寒気と戦う難行に力尽き金沢藩に降伏し、1865年(元治2)、来迎寺で353人が斬首された。葬られているのは、武田耕雲斎以下411人(途上の戦死者、病死者を含む)である。JR北陸本線ほか敦賀駅から福井鉄道バス「松原公園口」下車、徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報