殖田俊吉(読み)ウエダ シュンキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「殖田俊吉」の解説

殖田 俊吉
ウエダ シュンキチ


肩書
法務総裁,行政管理庁長官

生年月日
明治23年8月4日

出生地
大分県宇佐

学歴
東京帝国大学法科大学政治科〔大正3年〕卒

経歴
大正3年高文合格、税務監督局属兼大蔵属、広島税務署長、門司税関、大阪税関各監視部長兼総務課長、大蔵事務官、内閣総理大臣秘書官、大蔵書記官兼内閣総理大臣秘書官、拓務省殖産局長、台湾総督府殖産局長、関東財務局長などを歴任し、昭和8年退官。戦時中、近衛文麿側近として吉田茂らと和平工作に参画憲兵に検挙された。戦後復興金融金庫監事、23年第2次吉田内閣の国務大臣、行政管理庁長官、法務総裁となり、第3次吉田内閣にも留任、団体等規正令の改正などを手がけた。

没年月日
昭和35年5月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「殖田俊吉」の解説

殖田 俊吉
ウエダ シュンキチ

昭和期の政治家 法務総裁;行政管理庁長官。



生年
明治23(1890)年8月4日

没年
昭和35(1960)年5月23日

出生地
大分県宇佐

学歴〔年〕
東京帝国大学法科大学政治科〔大正3年〕卒

経歴
大正3年高文合格、税務監督局属兼大蔵属、広島税務署長、門司税関、大阪税関各監視部長兼総務課長、大蔵事務官、内閣総理大臣秘書官、大蔵書記官兼内閣総理大臣秘書官、拓務省殖産局長、台湾総督府殖産局長、関東財務局長などを歴任し、昭和8年退官。戦時中、近衛文麿の側近として吉田茂らと和平工作に参画、憲兵に検挙された。戦後復興金融金庫監事、23年第2次吉田内閣の国務大臣、行政管理庁長官、法務総裁となり、第3次吉田内閣にも留任、団体等規正令の改正などを手がけた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「殖田俊吉」の解説

殖田俊吉 うえだ-しゅんきち

1890-1960 昭和時代官僚,政治家。
明治23年8月4日生まれ。大蔵省にはいり,昭和8年関東庁財務局長。大戦末期の20年,近衛文麿の側近として和平工作にかかわり,吉田茂らとともに憲兵隊に逮捕される。23年第2次吉田内閣の行政管理庁長官,法務総裁。24年第3次吉田内閣の法務総裁。昭和35年5月23日死去。69歳。大分県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「殖田俊吉」の解説

殖田 俊吉 (うえだ しゅんきち)

生年月日:1890年8月4日
昭和時代の政治家;官僚。法務総裁;行政管理庁長官
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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