英語では略称MP。軍隊はその特質上厳正な規律の維持を必要とするため,軍人には一般と異なる特別な義務が課される。この規律維持を主任務とする軍人または兵科をいう。通常は,一般警察権の及ばない軍隊内や,軍隊に関係ある行政警察,司法警察の業務を併せ行う。旧日本軍憲兵のように,国内,占領地,作戦地等の公安維持や防諜にまでも及ぶ広範な任務を担当したものから,軍隊内部の犯罪捜査,交通統制,警備または捕虜の取扱い等のうち,単一の任務を担当するものまで,国によってその実態には差異がみられる。
憲兵が初めて軍事史に現れたのはマケドニアのアレクサンドロス大王の時である。それ以後,軍隊の固有編成の一員として,または必要に応じ臨時の要員として,憲兵が軍事警察の任務を担当した。ドイツではフェルトイェーガーFeldjäger(猟兵)が憲兵の発祥とされ,のち1740年フリードリヒ大王が憲兵部隊を設けた。旧西ドイツ軍は,各師団に憲兵中隊を持ち,犯罪捜査,交通統制,警護等の任務を担当していた。フランスで憲兵の任務を初めて担当したのはジャンダルムgendarme(銃士)である。フランス革命(1789-99)時に憲兵の小部隊が編成され,ナポレオン時代に充実拡大された。現フランス軍は,憲兵監の下に,軍人および民間人の混成で憲兵隊(軍官警察隊)を編成し,広く行政,司法,軍事の各警察業務を担任し,その勢力は約8万人,陸・海・空の各軍に準ずる規模となっている。イギリスでは11世紀,ノルマン人のイングランド征服の時代にプロボースト・マーシャルprovost marshal(憲兵司令官)を設けた。ヘンリー8世(1491-1547)の時代には憲兵中隊が編成された。現イギリス軍は,旅団以上の部隊に憲兵課を置いているが,平時は憲兵部隊を持たない。アメリカでは独立戦争(1775-83)の当初,イギリス軍の憲兵組織および名称に準じた憲兵類似の部隊を持った。1776年ワシントンが憲兵司令官を正式に任命し,憲兵部隊を編成した。第2次大戦時には憲兵部隊が拡大され,1000個中隊以上となり師団以上の部隊で活動した。現アメリカ軍は,師団ごとに憲兵中隊を固有編成で持ち,それ以上の大部隊には,必要に応じ憲兵中隊,大隊または旅団を編成することになっている。このほか,犯罪捜査専門部隊,捕虜取扱い専門部隊を編成することがある。旧ソ連では師団以上の部隊には交通統制専門の部隊があり,犯罪捜査等は部隊の司令官(平時駐屯地においては地区警備司令官)の権限であり,司令官は幕僚として法務官を持っていた。このほか旧ソ連の特色として,内務省(MVD)部隊および国家保安委員会(KGB)部隊があり,憲兵業務の一部を担当し,軍隊もその取締りを受けていた。
執筆者:塚本 勝一
旧日本軍で憲兵という名称が最初に使われたのは1873年の陸軍省条例中においてであるが,これは単なる法文だけに終わり,翌74年6月北海道におかれた屯田憲兵が最初のものである。それは屯田兵がそのまま憲兵であり,開拓耕作と兵備を兼ね,軍事紛争を予防する警察権をも有していた。これは当時の北海道の位置ともかかわってやや特殊なものであったが,同じころ,東京府下にも憲兵設置の動きがあった。74年陸軍省による〈憲兵条例〉案がそれで,そこでは憲兵は内務,陸海軍,司法の3省に属し,軍事,行政,司法警察を兼ね行うことになっていた。それは,憲兵業務における〈法令ノ遵守〉の規定,また裁判所検事もしくは警視庁の〈命令書〉なくしては〈人家ニ入ルヲ許サズ漫リニ……人民ノ権利ヲ傷スル者……凡ソ憲兵公威ヲ弄用シ漫リニ人民ノ権利ヲ傷スル者。……即チ罰アリ〉等の人権侵害に対する抑制の規定のごとく,フランス型憲兵にそのモデルをもとめていた。正式に憲兵条例が制定されたのは81年3月で,内務,陸海軍,司法の3省に属する等,制度上は74年案と同じであるが,〈命令書〉条項以外の人権関係条項はすべてなくなり,89年の改訂では〈命令書〉条項もなくなった。他方,日清,日露両戦争によって獲得した植民地にも台湾憲兵条例(1896),韓国駐劄憲兵に関する件(1907)などにより憲兵が設置され,ここでは,統監と軍司令官にのみ属した(憲兵警察制度)。こうして,内外における増大した軍の影響力と威力を背景に権限行使の法的規制をもたない憲兵制度がつくられていった。
憲兵は軍の規律維持=軍事警察と治安警察の二つを当初から任務としたが,まず明治初期には福島,加波山,秩父事件等の自由民権運動,中後期には足尾鉱毒事件,日露講和条約反対運動,東京市電値上反対事件,大正期には第1次護憲運動,米騒動,普選運動や八幡製鉄所,神戸川崎造船所争議など,時々の反政府民衆運動に対して出動した。大正末期から昭和初期にかけては左翼運動の弾圧に主力をおいた。関東大震災時に甘粕事件があったが,1928年思想係がおかれ,労働,農民,文化,学生運動など一連の軍事以外の領域にも,それまでの治安警察のあり方をこえて積極的に介入した。左翼運動の逼塞(ひつそく)にともない,軍の青年将校を中心とする急進的な右翼運動,超国家主義運動が起こり,軍の一部である憲兵そのものもそれぞれの系統に分裂するなどで,この点では本来の軍紀維持の任務も必ずしも有効に果たしえなかったこともあったが,軍部が政治の実権を掌握するにしたがい,憲兵もまた治安,防衛,防諜,生産増強など国民の全生活を監視するようになった。東条英機内閣の時点では,憲兵政治といわれる状況を呈した。憲兵数が一挙に3倍に増加されたのは1937年の日中戦争開始後であるが,終戦時には内地に約8000,朝鮮,台湾に約2000,中国,東南アジア占領地に2万2000の戦時補助憲兵を加えた軍令憲兵があった。降伏後,国内治安維持と,日本軍と連合軍との間の不祥事件防止のため,一般兵科12万5000人を臨時憲兵として都道府県に設置したが,占領軍により解体された。
自衛隊内の秩序維持に専従するものとしての警務官(陸,海,空の三曹以上。以下は警務官補)制度があり,刑事訴訟上の司法警察職員として職務を行う。対象は自衛官,訓練招集中の予備自衛官などの犯した犯罪,職務従事中のそれらに対する隊員以外の犯した罪,自衛隊の使用する船舶,庁舎,営舎等の内における犯罪,また自衛隊の所有あるいは使用する施設または物に対する犯罪である(自衛隊法96条,同施行令109条110条)。制度としては英米系のMPに近いものであり,刑事訴訟法の規定をうけている。
執筆者:雨宮 昭一
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軍隊内の法秩序維持をおもな任務とする軍隊の兵科の一つで、軍に関する司法・行政警察機能を担う。一般的には、軍人の犯罪を防止し、捜査し、逮捕すること、営倉を管理・運営すること、および軍事施設を防護することが業務の中心であるが、国によっては交通の統制や対諜報(ちょうほう)活動を行い、必要に応じて歩兵として戦闘に参加することもある。憲兵の歴史は古く、アレクサンドロス大王の大遠征当時すでに存在したといわれるが、現代の各国の憲兵制度にかかわりをもつのはヨーロッパ中世のものである。中世においては、憲兵の任務を行う軍人はプロボーprovostとよばれる憲兵将校であった。通常、憲兵将校は、臨時に選抜された兵士で編成される憲兵隊provost guardを指揮する非常勤の任務であったが、常任の憲兵将校も少数ながらすでに存在していた。
イギリスにおいては、憲兵隊の長はプロボー・マーシャルprovost marshalという憲兵司令官で、イギリス軍隊最古の官職とされている。その起源は11世紀にまでさかのぼることができるが、確実なものとしては、1511年にヘンリー8世が憲兵司令官を任命した記録が残っている。それ以来、憲兵はおもに軍の秩序維持と軍機の保護にあたってきたが、軍隊の役割の変化に伴いその任務も多様化した。1877年に騎馬憲兵隊が、85年には歩兵憲兵隊が創設され、1926年に双方が統合された。第二次世界大戦以降は、要防空重要地点の防御、交通の統制、特殊捜査を担当する三つの憲兵隊が組織され、大戦中の活動に対する報償として「ローヤル」の呼称が与えられている。フランスには、中世の選抜された兵士による近衛(このえ)騎兵(ジャンダルム)の伝統を引くジャンダルムリgendarmerieとよばれる憲兵隊がある。
ロシアでは、帝政ロシア時代の17世紀に憲兵隊が創設されたが、19世紀初めにジャンダルムリにかわり、1917年のロシア革命で廃止された。現在は独立した憲兵隊をもたず、内務省に所属する国内軍や国境警備隊などが憲兵の機能を果たしているといわれる。
ヨーロッパ大陸以外の多くの国では、イギリスおよびアメリカの憲兵制度を取り入れている。イギリス連邦諸国はイギリスの、ラテンアメリカ諸国および日本の自衛隊はアメリカの制度に倣ったものである。
英米の憲兵は、警察官であるよりも兵士であることを強調する。この点で、公共の安全により深く関与するフランスのジャンダルムリなどとは性格を異にする。
[亀野邁夫]
旧日本陸軍七兵科の一つ。1881年(明治14)3月、フランスの憲兵制度を模範にして制定された憲兵条例は、憲兵の役割を「陸軍大臣ノ管掌ニ属シ主トシテ軍事警察ヲ掌(つかさど)リ兼テ行政警察司法警察ヲ掌ル」(1条)と規定した。主要任務は軍隊内の犯罪調査、思想取締りなどにあったが、海軍・内務・司法の3省に兼任隷属して軍事行政警察、軍事司法警察としての役割も担った。軍事行政警察とは軍事行政や統帥(とうすい)権の執行の補助を目的とし、その内容は軍機保護、軍港・要港・徴兵・鉄道・服役・召集・戒厳などに関する法令の執行、軍紀・風紀の維持など広範囲にわたった。軍事司法警察とは軍人・軍属関係者の犯罪調査、令状の執行などの業務をさした。
創設当初憲兵は1600人程度であったが、1890年代に入ると大規模な増員が行われ、この結果憲兵は全国の市町村にまで配置されることになった。同時に、憲兵の権限行使に関する法的規制があいまいであったことから、憲兵はしだいに一般警察の管掌事項であった公安維持の領域にまで活動範囲を拡大していった。たとえば、明治時代には選挙騒擾(そうじょう)事件(1892)、足尾(あしお)銅山鉱毒事件(1900.1907)、日比谷(ひびや)焼打事件(1905)、大正時代には護憲運動(1912)、米騒動(1918)、八幡(やはた)製鉄所罷業(1920)などに憲兵が出動し、労働者・民衆鎮圧の先頭にたった。一方、朝鮮・台湾など植民地民族への暴力的抑圧装置としてもその威力を発揮した。
大正末期から昭和期にかけて社会運動の高揚に伴い、憲兵は軍隊赤化防止や、それの一般民衆への影響を断絶する目的で、思想取締りを重要な任務とするに至った。1924年(大正13)5月、陸軍大臣宇垣一成(うがきかずしげ)は、憲兵隊長会議の席上、「平戦両略ヲ通シ軍ノ存在ヲ危殆(きたい)ナラシムル各種ノ企画ニ対シ捜査警防ノ全キヲ期スルハ主トシテ憲兵ノ努力スヘキ所ニシテ軍事警察ノ主眼実ニ此(ここ)ニ在リ」と訓示した。ここでは憲兵が国家警察機関的立場から治安対策上積極的な役割を担うよう期待された。さらに日中戦争の全面化に伴い国内の戦時体制が強化されるにしたがって、憲兵は軍事機密や防諜(ぼうちょう)に強い関心を払うところとなった。敗戦時2万6000人を数えた憲兵は軍隊の解体とともに解散させられた。なお、自衛隊では警務官の職務がほぼこれに相当し、刑事訴訟上の司法警察職員の職務を相当する。
[纐纈 厚]
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軍の機密保持を理由として,主として軍人の犯罪を扱うために設けられた軍事警察官の制度。1881年(明治14)1月14日,陸軍兵科の一つとして東京に設置。同年3月11日公布の憲兵条例で憲兵は形式上陸軍内部におかれたが,海軍・内務・司法の3省にも属し,軍人であり警察官でもあるという特殊な身分であった。軍人の犯罪を取り締まるだけでなく,軍人以外の人々に対しても「国内の安寧を掌」(憲兵条例)るため,警察権を行使することができた。89年3月30日に憲兵司令部が設けられ,全国の憲兵隊を統轄。第2次大戦の敗戦による軍の崩壊まで存続し,さまざまな功罪を遺した。
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