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比企朝宗 ひき ともむね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

比企朝宗 ひき-ともむね

?-? 平安後期-鎌倉時代の武将。
比企尼(ひきのあま)の子。寿永3年(1184)北陸道勧農使となる。同年平氏追討のため西海におもむく。文治(ぶんじ)2年源頼朝の使者として京都にいく。同年一条能保(よしやす)の命で源義経の家臣堀弥太郎らを興福寺で捕らえる。奥州攻めにもしたがった。通称は藤内。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

比企朝宗

生年:生没年不詳
鎌倉初期の武士。父は武蔵比企郡(埼玉県)の武士遠宗,母は源頼朝の乳母の比企尼。朝廷に仕えて内舎人となり比企藤内と称された。頼朝には母の縁で仕え,平氏追討で西海に派遣されるとともに,北陸道の勧農使に任じられて北陸道一帯を幕府の支配下に入れるために尽力した。文治2(1186)年に頼朝の命を受けて後白河法皇の熊野詣の費用を持って上洛し,京都守護の一条能保に属して源義経の追討に従った。同5年には奥州藤原氏を討つために従軍し,陸奥国岩井郡について沙汰するが,その後の活動は不明。娘は北条義時に嫁して名越朝時を生む。<参考文献>佐藤進一『鎌倉幕府守護制度の研究』

(五味文彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の比企朝宗の言及

【勧農使】より

…これとは別に,源平内乱期には国衙にも勧農使がおかれた例があり,1183年(寿永2)には平氏政権下の安芸国で,在庁官人の公廨給田の割りかえを,勧農使が田所を指揮して管轄した例がみられる。一方,源氏の側でも84年(元暦1)に源義仲を滅ぼした源頼朝は,それまで義仲が支配していた北陸道諸国に対して,比企朝宗を鎌倉殿勧農使として派遣している。比企朝宗は鎌倉幕府の守護制度が整備されるなかで,北陸道諸国の守護として活躍するようになるところからみて,この鎌倉殿勧農使がある意味では鎌倉幕府の守護制度の源流をなすとも考えられる。…

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