…これとは別に,源平内乱期には国衙にも勧農使がおかれた例があり,1183年(寿永2)には平氏政権下の安芸国で,在庁官人の公廨給田の割りかえを,勧農使が田所を指揮して管轄した例がみられる。一方,源氏の側でも84年(元暦1)に源義仲を滅ぼした源頼朝は,それまで義仲が支配していた北陸道諸国に対して,比企朝宗を鎌倉殿勧農使として派遣している。比企朝宗は鎌倉幕府の守護制度が整備されるなかで,北陸道諸国の守護として活躍するようになるところからみて,この鎌倉殿勧農使がある意味では鎌倉幕府の守護制度の源流をなすとも考えられる。…
※「比企朝宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...