比伊郷
ひいごう
「和名抄」にみえる早良郡
伊郷を継承したとみられる中世の郷。比井郷・樋郷とも書く。「続風土記」は樋井川流域の「樋井郷」を鳥飼、樫原(柏原、現南区)・檜原(現同上)、東油山・堤・片江・長尾・田島(現城南区)、麁原・荒江(現早良区)の一〇ヵ村にあたるとしており、中世の郷域は現在の中央区西部から南部、城南区の中部・南部、南区の南西部にあたるか。嘉禄二年(一二二六)五月三日の僧栄昌田地売券(青柳家文書/鎌倉遺文五)によると、売却された飯盛下宮(現西区)の常灯田二町の在所として「早良郡内比伊郷」がみえ、この免田は栄昌の私領であった。正応元年(一二八八)一〇月三日の蒙古合戦勲功賞配分状(入来院文書・禰寝文書・入来院武光文書/鎌倉遺文二二)では、当郷地頭職が弘安四年(一二八一)のモンゴル襲来の際の恩賞地となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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