比和宿
ひわじゆく
[現在地名]比和町比和
出雲路(阿井越)の宿駅で、「芸藩通志」に「比和駅 伝馬定数なし、逓送南は伊勢町へ三里、北は新市駅まで三里半」とあるのみで詳細は不明。
寛永一〇年(一六三三)一月、山陽筋に初めて幕府巡見使が派遣され、広島藩は街道・宿駅の整備を行った(済美録)。同年一月一〇日には、巡見横目村越七郎左衛門が高野山(現高野町)泊りとなっている(三次分家済美録)。川北村(現庄原市)の伊勢町は伝馬六、新市村(現高野町)の新市宿は伝馬七であったから(芸藩通志)、比和宿の伝馬数も同程度と思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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