比布村(読み)ぴつぷむら

日本歴史地名大系 「比布村」の解説

比布村
ぴつぷむら

[現在地名]上川郡比布町北町(きたまち)一―三丁目・寿町(ことぶきまち)一―六丁目・新町(しんまち)一―五丁目・中町(なかまち)一―二丁目・西町(にしまち)一―四丁目・東町(ひがしまち)一―三丁目・緑町(みどりまち)一―三丁目・南町(みなみまち)一―三丁目・基線(きせん)・北一線(きたいつせん)・北二線(きたにせん)・北三線(きたさんせん)・北四線(きたよんせん)・北五線(きたごせん)・北六線(きたろくせん)・北七線(きたななせん)・北八線(きたはつせん)・北九線(きたきゆうせん)・北一〇線(きたじつせん)・北一一線(きたじゆういつせん)・北一二線(きたじゆうにせん)・北一三線(きたじゆうさんせん)・北一四線(きたじゆうよんせん)・北一五線(きたじゆうごせん)・南一線(みなみいつせん)

明治三九年(一九〇六)から昭和三六年(一九六一)まで存続した上川郡の村。上川郡(旧石狩国)の北部に位置した。明治二五年石狩川右岸の広大な地域に鷹栖(たかす)村が設置された。同村に属した比布原野は、同二七年から殖民地区画測設が始まった。翌二八年区画地の貸下げが開始され、五月から滋賀県団体二〇戸・香川県団体四四戸・愛媛県団体(小作契約の尾崎農場)四二〇人が相次いで入植(比布町史)、当地の開拓が始まった。同年鷹栖村戸長役場に属する。翌二九年、比布原野に天塩道路(現国道四〇号の一部)となる基線道路と一一号道路が開削された。


比布村
ひふむら

[現在地名]榛原町大字比布

芳野(ほうの)川西部、母里(もり)・高塚(たかつか)両村間に所在。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳に「石田庄(中略)公田十町九反半 西谷田二反 三比布三反」とあり、宇太水分神社古図に「檜生野」、慶長郷帳・元和郷帳には「日生村」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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