日本歴史地名大系 「毛皮屋町」の解説 毛皮屋町けがわやちよう 和歌山県:和歌山市和歌山城下新町毛皮屋町[現在地名]和歌山市毛革屋(けがわや)丁・北(きた)ノ新地上六軒(しんちかみろつけん)丁新中通(しんなかどおり)二丁目の東に並行する南北の通りに面し、東は北(きた)ノ新地(しんち)。東側の宣経(せんきよう)寺(日蓮宗)は「続風土記」に寛永五年(一六二八)開基で境内に本堂・番神堂・釣鐘堂があると記す。なお、毛皮屋町付近の各町は次のようであった。毛皮屋町北は坊主(ぼうず)町(現坊主丁)で元和六年(一六二〇)開基という栗源(りつげん)院があった。坊主町の北、新中通四丁目の東は数寄屋(すきや)町(現数寄屋丁)で、本覚(ほんがく)寺(日蓮宗)はもと駿河府中にあったが、元和五年の徳川氏入部に従って車坂(くるまざか)に移転し、のち当町に移ったという(続風土記)。 毛皮屋町けがわやまち 長崎県:長崎市長崎町毛皮屋町[現在地名]長崎市諏訪町(すわまち)諏訪町の北東、中島(なかしま)川左岸にある長崎外(そと)町の一ヵ町で陸手に属した。元和元年(一六一五)道智が正覚(しようかく)寺を立山(たてやま)より当町に移転させた。同八年のドミニコ会宛の長崎ロザリオ組中連判書付では「けかわや町」のキリシタン「はうろ」が署名している。正保四年(一六四七)の外町箇所数帳(柏原家文書)に毛皮屋町とみえ、箇所数二四。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by