気賀関所跡(読み)けがせきしよあと

日本歴史地名大系 「気賀関所跡」の解説

気賀関所跡
けがせきしよあと

[現在地名]細江町気賀

江戸期東海道の脇往還である本坂通にあった関所。現在の気賀(きが)地内上町(かみまち)の中央付近が跡地とされる。北遠や奥三河へ抜けるのを防ぐ金指(かなさし)関所(現引佐町)とともに浜名湖北岸交通の重要拠点であった。江戸幕府は関ヶ原合戦直後の慶長六年(一六〇一)頃に東海道の新居(あらい)関所(現新居町)を設け、本坂通の気賀(けが)村には旗本気賀近藤氏の陣屋に併せて気賀関所を開くこととし、気賀近藤氏が関守となって明治まで管理が続けられた。関所の開設年については、御関所覚書(中村家文書)が元和五年(一六一九)とするほか、慶長五年・同一七年、寛永(一六二四―四四)初年などの諸説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む