水城村(読み)みずきむら

日本歴史地名大系 「水城村」の解説

水城村
みずきむら

[現在地名]太宰府市水城一―六丁目・水城

国分こくぶ村の北西四王寺しおうじ山南西麓にあり、西境御笠みかさ川が北流する。同川右岸を北西から南東日田街道が通る。当村の西の入口から北に向きを転じ、山沿いに乙金おとがな(現大野城市)から席田むしろだ郡を経て糟屋かすや郡に通じる小路は、慶長五年(一六〇〇)田中吉政が筑後入国の際に通ったというので田中たなか道とよばれていた(続風土記附録)。村名の由来は水城があったことによる。水木みずき町ともいった(慶長国絵図・正保郷帳)

水城は大宰府から博多方面に出る際の出口にあたり、文永一一年(一二七四)モンゴル襲来の時、一〇月二〇日博多でモンゴル軍と戦った大宰権少弐武藤景資らはモンゴル軍に攻められ、同日夕刻水城まで退却した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む