日本大百科全書(ニッポニカ) 「水心子正秀」の意味・わかりやすい解説
水心子正秀
すいしんしまさひで
(1750―1825)
江戸中期の刀匠。出羽(でわ)国(山形県)赤湯の人で、武州下原鍛冶吉英(かじよしひで)に師事し、宅英(たくひで)、英国と銘した。1774年(安永3)秋元家に召し抱えられ、川部儀八郎正秀と改名、水心子と号した。初期には大乱刃(みだれば)、ついで津田助広写しの濤瀾(とうらん)刃など大坂新刀風であったが、のち国学の復興に伴う復古思想の勃興(ぼっこう)に影響され「日本刀はすべからく鎌倉・南北朝の古(いにしえ)に復すべし」とする復古新刀論を唱えた。賛同者も多く、やがて江戸に出てこれを実地に移し、1818年(文政1)名も天秀(あまひで)と改めた。門人の荘司大慶直胤(なおたね)は師の説を踏襲して、ことに備前(びぜん)伝に多くのみるべきものがある。
[小笠原信夫]
『黒江二郎著『水心子正秀とその一門』(1979・雄山閣出版)』