水戸徳川家墓所(読み)みととくがわけぼしょ

国指定史跡ガイド 「水戸徳川家墓所」の解説

みととくがわけぼしょ【水戸徳川家墓所】


茨城県常陸太田(ひたちおおた)市瑞龍町にある水戸徳川家代々の墓所。瑞龍山と号されている。茨城県の北部、常陸太田市の北部郊外、阿武隈(あぶくま)高地から続く国見山の南側丘陵斜面部に位置し、東西約360m、南北約500m、標高134mから65mの範囲に広がる。2代藩主徳川光圀(みつくに)が定めた水戸徳川家独自の儒教葬の様式を遵守して、菩提寺はなく、僧侶の立ち入りは禁じられている。1661年(寛文1)の初代頼房の埋葬、墓造営に始まり、江戸時代の墓は水戸藩主(当主)と夫人の墓が29基、一族の墓が86基、その他4基の合計119基がある。水戸徳川家は、家康11男の頼房を家祖として、1609年(慶長14)に25万石で水戸に入封した徳川御三家の一つ。明治維新まで水戸藩を治めた。その分家は、讃岐国高松藩主松平家、陸奥国守山藩主松平家、常陸国府中藩主松平家、同宍戸藩主松平家とあり、この墓所は、高松松平家以外の3支藩の分家も埋葬されている。当主家と3つの分家が同一の墓所に埋葬されている点が特徴的な大名家墓所である。2007年(平成19)、国指定史跡となった。現在は一般公開はされていない。JR水郡線常陸太田駅から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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