水田丸村
みずたまるむら
[現在地名]加賀市水田丸町
動橋川左岸にあり、南西は一〇〇メートル級の山地。北は小坂村・横北村。いわゆる享禄の錯乱で山田光教寺など賀州三ヵ寺派に味方して敗北、追放処分を受けて江沼郡を転々とした勝光寺・願成寺は一時当地に移転したと伝える(天保由緒書)。勝者超勝寺は当時南の塔尾村にあったことからその監視下に置かれたものとみられる(加賀市史)。慶長三年(一五九八)八月五日の小早川秀秋宛行状(土佐国蠧簡集残篇)に「水たまる村」のうち一三九石余を原田四郎左衛門に領知せしめたとある。正保郷帳によると高六二三石余、田方二九町七反余・畑方九町九反余、物成高二七五石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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