20世紀日本人名事典 「水谷孝」の解説
水谷 孝
ミズタニ タカシ
- 生年
- 明治35(1902)年7月29日
- 没年
- 昭和60(1985)年7月18日
- 出生地
- 大阪府大阪市
- 旧姓(旧名)
- 本郷
- 別名
- 筆名=藤枝 丈夫(フジエダ タケオ)
- 学歴〔年〕
- 西南学院中中退
- 経歴
- 大正9年中国に渡り、大陸浪人の組織で働いて14年帰国。大正末から昭和初めにかけ、藤枝丈夫のペンネームで中国問題評論家として活躍した。傍ら、前衛芸術家同盟、ナップに参加しプロレタリア演劇運動も行う。昭和6年郭沫若の「支那古代社会研究」を翻訳刊行。8年検挙され、静岡刑務所に下獄、翌年出所。16年一転して三菱鉱業美唄礦業所に入り模範坑員となって弾圧を逃れた。戦後間もなく美唄労組を結成、執行委員長となり、経営の民主化、賃金の10割引き上げなどを要求してストに突入した。ストを一たん収拾し会社側と協定を結んだが、組合員は納得せず、水谷は20年11月結成の北海道鉱山労働組合連合会の議長に就任、生産管理闘争に突入した。2000人の組合員の面前で大衆交渉という人民裁判戦術で21年2月組合側が全面勝訴。同年4月全日本炭鉱労働組合(炭労)の初代議長、共産党中央委員となった。同年共産党から総選挙に立候補したが落選。運動から離れ、22年日本民主党から立候補したが落選した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報