水道谷
すいどうだに
[現在地名]鳥取市東町一―二丁目
太閤ヶ平(本陣山)の下より、久松山の南東と天王の尾の間を通り大名小路(現国道二九号)に達する筋をいう。古名を宮内谷といい(鳥府志)、鳥取の産土神長田大明神(現長田神社)の祀られている廟社の旧地が天王の尾の尾根、興禅寺の裏山辺りにあったので付けられた名称らしい。現在長田神社のある谷筋入口付近に口の水道、谷筋中ほどに中の水道、太閤ヶ平の下辺りに奥の水道とよばれる貯水池があったことから、藩政期を通じて水道谷と称された。古くは左右を侍屋敷が占めていたが、文政(一八一八―三〇)頃には御館構と役所が占めるようになっていた(同書)。安政六年(一八五九)の城下絵図によれば、口の水道から大名小路までの間の南東側には、宮内御門(江崎上の惣門)より南の御門に至るほぼ南北に通る道を挟んで分知家の東館・西館両家屋敷があり、北西側は三の丸の下、もと火除地であった地に建てられた籾蔵が並ぶ(現県立鳥取西高校第二グラウンド)。南の御門前の道より南西には御会所・御勘定所・裏判所・在御用場が並んでいた(現武道館辺り)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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