水野 錬太郎(読み)ミズノ レンタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「水野 錬太郎」の解説

水野 錬太郎
ミズノ レンタロウ


肩書
文相,内相,貴院議員(勅選)

生年月日
慶応4年1月10日(1868年)

出生地
江戸

学歴
東京帝大法科大学英法科〔明治25年〕卒

経歴
大学卒業後、第一銀行を経て内務省に入り、神社、土木、地方局長を歴任。大正元年勅選貴院議員。2年内務次官となり、7年寺内内閣、11年加藤内閣、13年清浦内閣で内相をつとめた。この間、7〜11年朝鮮総督府政務総監。15年政友会に入党、昭和2年田中義一内閣の文相となった。だが久原房之助入閣に反対し、いわゆる“優諚問題”を起こして辞任し、10年には岡田内閣の審議会委員になったことが党議に触れて離党する。その後は産業報国連盟会長として産報運動を推進、戦時中は大日本興亜同盟副総裁、興亜総本部統理に就任するなど国家主義的な傾向を強めた。このため戦後はA級戦犯として逮捕されたが、22年釈放。

没年月日
昭和24年11月25日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「水野 錬太郎」の解説

水野 錬太郎
ミズノ レンタロウ

明治〜昭和期の内務官僚,政治家 文相;内相;貴院議員(勅選)。



生年
慶応4年1月10日(1868年)

没年
昭和24(1949)年11月25日

出生地
江戸

学歴〔年〕
東京帝大法科大学英法科〔明治25年〕卒

経歴
大学卒業後、第一銀行を経て内務省に入り、神社、土木、地方局長を歴任。大正元年勅選貴院議員。2年内務次官となり、7年寺内内閣、11年加藤内閣、13年清浦内閣で内相を務めた。この間、7〜11年朝鮮総督府政務総監。15年政友会に入党、昭和2年田中義一内閣の文相となった。だが久原房之助の入閣に反対し、いわゆる“優諚問題”を起こして辞任し、10年には岡田内閣の審議会委員になったことが党議に触れて離党する。その後は産業報国連盟会長として産報運動を推進、戦時中は大日本興亜同盟副総裁、興亜総本部統理に就任するなど国家主義的な傾向を強めた。このため戦後はA級戦犯として逮捕されたが、22年釈放。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「水野 錬太郎」の解説

水野 錬太郎 (みずの れんたろう)

生年月日:1868年1月10日
明治時代-昭和時代の政治家
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報